しっかりした企業にお勤めの…

子どもというのは、いくつになっても親からの評価が気になるもの?それとも、私だけでしょうか。
私は子どもの頃、親(とくに母)から褒めてもらえない、認めてもらえない、と感じて育ちました。それは、母が「nacciは英語はすごくできるのに数学がダメだねぇ」とか「この通知表、体育さえなければ完璧なのにねぇ」とか言ってしまうタイプだったからです(体育は2だった)。もちろん母に悪気があったわけではなく、母なりに褒めていたんだと思うのですが、私はどちらかと言うと褒められて伸びるタイプだったので、「お母さんは何をやったって褒めてくれない」とずっと思っていました。その想いは、大人になっても間違いなく私の心の中にあって、結婚相手も母が文句を言わないような人を選ばなければ、というのが無意識のうちに自分に刻み込まれていたようです。それは今になって「そうだったな」とわかるだけで、その渦中にあるときは母の影響をそんなに受けているとは思っていませんでしたけど。
母が文句を言わない相手─それは、『しっかりした企業にお勤めの』男性です。折にふれ、「◯◯ちゃんの旦那さんみたいな人と結婚するのが一番いいのよ」なんて言われていました。
しかし結果として私が結婚することになったのは、"しっかりした企業にお勤め"とは真逆のところにいるような…たった1人で、自分の腕一本で世界と戦っているような人で。「あー、お母さんが生きてたら、『えええええ!』と言うだろうなぁ」と思いましたよ。そう、"しっかりした企業にお勤め"であれば、たとえ病気や怪我で仕事ができない時も、あるいは仕事なんてしないでサボっていても、お給料が自動的にタップリ入ってくるわけですから、母の言いたいことはよくわかる。でも、私が選んだ相手がそうじゃなかったんだから、仕方ないですよね。幸か不幸か、母はそれを伝えられる前に亡くなってしまったので、「えええええ!」と言われる機会もなかったわけですが。

で、そういう人と結婚したいと思っていることを父に伝えるにあたり、「きっといろいろ聞かれるだろうな」と覚悟していました。"将来設計"とか、あれとかこれとか、ちゃんと考えてあるのか、と。ところが、父は何も言わなかったのです。「自分で選んだ相手なら、お父さんは何も言うことは無い」と。私はびっくりすると同時に、非常に深い感動に包まれました。当の父は、感動させるようなことを言ったなんて思ってないでしょうけど、私としては、自分の選択を、意志を、そのまま認めてもらえたのがとてもとても嬉しかったのです。父の意図するところは、「自分で選んだんだから責任持てよ、後から大変だとかあーだこーだ言うなよ」ということにすぎないのですが、それでも、私はずっとそういう風に、自分の選ぶもの、ひいては自分自身を、受け入れてほしかったんだと思います。母親に。でも、母親というものは、おしなべて"子どもが苦労しないように"って思ってしまうものなんでしょうね。私は、苦労=悪いことだとは思わないし、"しっかりした企業にお勤め"=苦労がゼロ、とも思いません。そして、親がどんなに願ったところで、子どもは苦労するのです。選択を誤ったり、つまらない失敗を重ねて大人になっていくんです。だけど、母親というものはなるべくそういう目に遭わないように…と先回りしてしまうんでしょうね。「結果がどうであれ、自分の選択に責任を持って、好きなようにやれ」と言えるのは、父親ならではなのかもしれません。

そんな具合で、どうなることかと気を揉んだ「夫になる人を父に会わせる」というイベントは、何の問題もなく終わったのでした。考えてみれば、父も自分の腕一本で自営業をやってる身ですから、今思えばそんなに心配することはなかったのですが。父は夫に対して、何の注文もつけませんでしたが、唯一言っていたのが「まだご存じないかもしれんけど、ウチの娘、めちゃくちゃ気が強いので、覚悟しておいてくださいね。返品はダメだよ」くらいでしたね。気、強くないですけどね、ワタシ。