歌ならいのバラッド

はるか昔にゴスペルを習っていたのは、「みんなで歌う」のが楽しかったから。
一人でボーカルレッスンを受けるつもりなんて、さらさらなかった。
というか、「プロでもないのにどうしてみんな個人で歌を習ったりするんだろう?」と不思議に思っていた。
更には、なんかちょっと、「ボーカルレッスンって宗教っぽいよな」とも、思っていた(すみません…)。
楽器を習うのとは違って、ボーカルの先生と生徒の間に、なんだか強すぎる絆?を感じて、ちょっと私は、そういうのは…と感じていたから。


で、紆余曲折を経て、いまボーカルレッスンを受けている。
「やっぱり宗教っぽいわね」と思う。ボーカルレッスンって「声の出し方を習う」ということで、それはつまり「息の仕方を習う」ということで、突き詰めれば「生き方を習う」ということだと思うので(ちょっと端折り過ぎですか?)。

レッスンを受けはじめた頃、「え…こんな大きい声出していいんですか?」と先生に聞いていた。
「いいんだよ!っていうかそれくらい出さないとダメ」と先生に言われ、目からウロコというか、不思議な気分だった。無意識のうちに「大きな声を出してはいけない」と思いこんでいたみたい。パーンと大きな声を出すと、内側に抑えていたモヤモヤが、外に放出される感覚。何かに感動してるわけでもないのに、涙が出そうになる。

目的は「歌がうまく歌えるようになる」ことなんだけど、これは紛れもなくセラピーだ。レッスンはとても気持ちがいい。不思議だけど、「今日は気分が乗らないなー」とか「今日は体調があまり良くないなー」という時のほうが、レッスンが終わったあと気持ちがいい。モヤモヤが、外に出ていってるんだよね。

というわけで、「ほんとうのことはー、うたのなかにあるー♪」って、斉藤和義の言う通りだなーと思いながらレッスンを受けている今日このごろです。