はじめまして、お孫さんの嫁です


いま、ちょっと面白い作業をしています。"夫の母方の祖父"にあたる人が、60年ほど前に書き記した原稿(手書き)を、せっせとデータ化しているところ。原稿用紙はすっかり黄ばんで所々が脆くなっており、取り扱いに注意しないと粉々(!)になってしまいそう。その内容は、当のお祖父さんが1956年に北米大陸を旅した時の紀行文です。横浜から船で太平洋を渡り、パナマ運河を越えてはるかニューヨークへ。そこから北米大陸を西へ向って横断する…。今、ちょうど五大湖近辺の出来事について、ぱたぱたとキーボードで打ち込んでいるところです。


私はもちろんのこと、夫も生まれる前にこのお祖父さんは亡くなっているので、どんな人なのかも知りません。でも、手書きの原稿を1ページ1ページめくりながら、文字を読み、写し…という作業をしていると、不思議と、お祖父さんと向かい合って話を聞いているような、そんな感覚に襲われます。手書きの文字というものには、そういう力があるのかもしれません。文字にはその人の性格も表れるというしね。
私はもともと読むことが好きで、読んでいるとスッとその"別世界"に降りていけるので、こういう物も読みはじめると一瞬で向こうの世界に行ってしまいます。タイプをミスるといけないので、あまり入り込みすぎてはいけないのだけれど、目は原稿の文字を追いながら、手はキーボードを叩きながら、自分は完全に1950年代のアメリカに居るのです。そのとき私の視線は、常にお祖父さんが見ているものに向っており、私の意識は、常にお祖父さんの傍らにあります。とても楽しく、貴重な体験をさせてもらっています。

"共通項"を見つけると、人は相手に親しみを感じるものですが、私もやはりこれを読みながら勝手にお祖父さんと自分の間に共通項を見つけて、「ですよね〜」なんて心の中で相槌を打ったりしています。彼は相当な船オタクだったようで、とても熱心に船について書き記しているのですが、その中でもとりわけ船の名前に関心が深かったようです。私も船名ってすごく好きなんですよね〜。船に関わる仕事をしていた時、「nacciはよくそんなに船の名前を覚えてられるね」と同僚に言われたものですが、興味があるから自然と覚えちゃうのです(私の場合は船にかぎらず"名前"に興味があるだけですが)。名前がつくとそれぞれの船に個性が生まれて、それが世界を航行してまた日本の港に戻ってくるっていうのがすごくロマンチックだな〜と思っていました。そんなことをお祖父さんも書いていて、ついつい嬉しくなってしまいます。あと、私もアイスクリームが大好きなのですが、お祖父さんもかなりアイスに目がないようで、文中でしょっちゅう食べています。今まだ原稿全体の半分も終ってないのですが、ここまでのところで5、6回は食べてる。しかも、「◯◯で、アイスクリームをたべた。」って書いた後にわざわざ「"とてもうまい"アイスクリーム」って書き足したりしてて、なみなみならぬアイスへの愛がうかがえるのです。私もこの作業をしながら、何度も冷蔵庫へ足を運んでしまいました。60年前のお祖父さんの言葉に突き動かされて、現在の私がアイスクリームを食べてるというのも、何とも感慨深いもので。

この旅行記、たぶんお祖父さんの文才もあると思うのですが、身内でなくとも面白い内容です。寄港地であちこち見物してたらウッカリ船が出てしまったとか、パスポートをどこにしまったかすぐ忘れるとか、「えー!」の連続。いつか、みんなに読んでもらえるようなものに仕上がるといいなと思いながら、今日もぱたぱたと打ち込んでいます。