タッちゃんとか、南とか。


年末に掃除をしていたら自分の卒業論文が出てきて、あら懐かしいわ〜と思って読んでいたのだけど、当時の私と現在の自分では考えていることがあまりに違っていることに驚き、それについてここに書いてみようと思ったら全く筆が進まなくなり、結局2月になってしまった・・・。あわわ。

卒論のタイトルは「(男子運動部に)女子マネージャーは本当に必要か」。要は、女子マネージャーなどというものは、女性に「女性らしさ」を求める正に偶像であり、根本的に不必要!」というような結論に導かれる内容です(ちなみに私はサッカー部のマネージャーをやっていましたが)。私が所属していたゼミでは、「男らしさ」「女らしさ」というのは人間に先天的に備わった要素ではなく、背景文化や社会によって作り上げられたものである、というような研究をやっていたのですね。
で 当時の私は「そうだそうだ!女性だって男性と同じに扱われるべきだ!」と思ってそんな卒論を仕上げたわけですが、今は、その内容にあまり共感できない自分がいます。女子マネージャーのことはどうでもいいし、今でも「いなくていい」と思っていますが、「男性と女性の差なんて、わずかなものだ!」「女性も、男性と全く条件で働かせるべきだ!」という部分については、本当にそうなのかしら?と。でもその気持ちを素直に綴っていくと、「男は働いて稼いでこい。女は家をまもれ。」という極論に近づいていってしまうので、一か月以上の間、恐ろしくて書くことができませんでした。。サボっていた言い訳か。

とにかく現代社会は「女性が働きやすい社会を作ろう」という方向に向かっているけど、そもそも出産、授乳というのが絶対に女性しかできないことなのに、「女性が男性と全く同じ条件で働く」って無理がないか?と思ってしまうのです。しかも、ほ乳類の中でも人間というのは赤ちゃん時代のケアがものすごく必要な生き物であり、母親の方も、出産翌日からハイ会社に戻って働くよ〜!なんて基本はあり得ない。それでいて、この社会の方向性ってなんか微妙におかしいんじゃないか。。と。でも、じゃあ女性は働くなってことか?と言われたらそうじゃないし、男は育児を手伝うなってことか?と言われたらそうでもないし。でもでもでもでも、もしかしたら…資本主義のはじまり、女性の権利の拡大、ウーマンリブ…、このあたりから人間は微妙な方向にいっちゃったのかもね〜、なんて思ったりします。実は、男性・女性の役割がキッチリと分かれていた時代の方が合理的だったりして。その頃の女性は、決して差別され虐げられていたわけじゃなく、ホントのところは子孫を残す大切な存在として「守られていた」のかもね、とか。

私が今回の件を書かずにいる間に、この件に関連する色んなニュースがありました。その極めつけが万能細胞の小保方晴子さんでしょう。ああいう「女性なのにスゴいね♪」的な報道のされ方が問題になっているけど、実際にはそういう情報を望んでいる受け手がいるからこそそういう報道になるわけで。こういう問題は、いまの人類が一回滅亡するまではずっと続くんだろうな〜 とか思います。大げさかもしれないけど。

男女の区別が全くない環境で仕事がしたい、と心の底から願う女性がいる一方で、働きたいけどせいぜい出産までだよな…と考える女性がいる。この両者って、やっぱり足を引っ張り合う存在にならざるを得ないところがあります。どっちも悪くないのに。産休や育休はあたりまえになりつつあるけど、何もかも元通りの状態に復帰して仕事ができる環境は少ないですね。というより、実は元々、女性の側には「男女の区別なく働く」というつもりのない人(私だってそうだ)が多いということです。男はこうで、女はこうだという区別のある職場制度を女性がすすんで受け入れているということです。となると、「男性と同じように働かせて!でもずっと働くつもりはないけどね」みたいな、あれも欲しいけどこれも欲しい!的な女性が働きやすい環境となり…結局、女性に男性と全く同じ条件で仕事をさせるということ自体が難しくなる。「女性の敵が女性」状態である限り、解決はしないでしょうね、いつまでも。

昔の女性は、やりたいことも自由にやれずにかわいそう・・と思っていた時もあったけど、現代の女性の方が、選択肢がたくさんあるぶん複雑な問題をたくさん抱えているように思います。結局、昔も今も、男も女も、それぞれ大変ナンデスヨーという、もう書かなきゃよかったじゃんというくらい何が言いたいかわからない文章になってしまいましたが、お互いに対する想像力と思いやりがあれば、色んなことは多少なりともうまくいくよ、ということで、結論もないのにここまで読んでくれた奇特な方、どうもありがとうございました。以上。