愛を込めて花束を

"無理に描く理想より 笑い合える今日の方がずっと幸せ"
よか歌です。Superfly。


さて、今年もまた母の誕生日が巡ってきて、仏壇にちょっと特別なお花を飾ります。母が亡くなってからは特にそうですが、宗教を問わず、こうして亡くなった人を偲んで何かを捧げたりする行為は、「亡くなった人のため」ではないんだよなぁ、と思います。故人が愛していたものをそっと飾るのは、「この世を生きてる者」が癒されるための儀式。いま自分が健康で生きていられることに、感謝するための儀式。そういうものだと、思います。
今回は誕生日のお花なので、いつも仏花を買っているお花屋さんとは別の、"ちょっとシャレオツ花屋"へ行きました。オーナーのお姉さん、じゃなくてお兄さん、じゃなくてオネエさんのセンスがとても素敵で、私の周囲の女性にはなかなか人気のあるお店です。どうみても値段以上にお花を入れてくれてる気がしたので、その旨を口にしたところ、「『お母さんへのお供え花』なんて言われると、どうしても値段考えずに作っちゃうんでぇ〜」とのことでした。なんか嬉しいじゃないですか、そういうの。オネエさんにたくさんの感謝を伝え、お花を抱えてゆく家路は、何ともふんわりと優しい気持ちに包まれました。

一周忌の時、ご住職が(名古屋って、住職様のことを「おっさん」って言うよねぇ、どうでもいいけど)、「仏壇の前でお経を読むのは、故人に聞かせるためではないんですよ」と仰っていたのを思い出します。私は、サボって読経はしていないのですが、その代わりに仏壇に手を合わせる時に「生かしていただいて、ありがとうございます」と必ず感謝のことばを口にします。それだけで、その日誰かに対して腹が立ったことやイライラしたことが帳消しになる、不思議な魔法のことばです。「ねぇ、生きてるだけで素晴らしいのよ。感謝しなさいよ」なんて、他人には絶対言いませんが(他人から言われて実践できることじゃないし)、幸せになる魔法だと思って、眠る前にひとことつぶやいてみるのも、悪くないかもしれません。