バースデーウイークに寄せて

私の働いている会社では、経営陣を含めた全体人数(犬を含まない)の75%が、この一週間で誕生日を迎えました。私を含めて。
というわけで、なんだかんだで毎日のようにケーキを食べたり美味しいものを食べたりで、歳も増えれば目方も増える。あなおそろしや。
去年の誕生日はリマ(ペルー)で祝ってもらったっけ。今年は、日本で恙なく誕生日を迎えられたことに、感謝です。

↓なんだかんだで嬉しいケーキ。でも、いつか、ホールケーキをスプーンで食べるというのをやってみたい。


↓こちらはサラマンジェ・ドゥ・カジノのお誕生日プレート。幸せ〜。飴細工の飴まで美味しかった。。そういえば夢にパレットが出てきたのは、このせいか!



誕生日を過ぎて、更に成長曲線(体重ではない!)をぐぐっと右上がりにさせたい今日この頃ですが、過日、友人がとてもいい質問を投げかけてくれました。「nacciにとって、パートナーに求める一番プライオリティの高いことって何?」と。口から自然と流れ出てきた私の答えは、「押し付けない人であること」でした。用意してた答えでははなかったので、なぜこれがすっと出てきたのか今でも不思議です。だって冷静になったらもっと色々あるもんね(笑)。
押し付けない っていうのは、「相手に自分の考えや好みを押し付けない」という、書いたまんまの事ですが、人間って知らず知らずのうちに多かれ少なかれこれをやっています。「押し付ける」とまで言わなくても、「こうなってほしい」という願いって絶対にあるはずだから。友人であれ、恋人であれ、家族であれ、相手が好きであればあるほど、自分が思うような「よい人間」になってほしいと思うのが自然な事なので。


私は、自分が良いと思っている事でも相手には押し付けない。だから、相手にも押し付けてほしくないんだよ、と答えたら、友人は「でも、自分が悪い方へ進もうとしてる時には、止めてほしくない?私は止めてほしい!」と反論してきました。それでちょっと考えてみたけど、「悪い方へ行きそうな時だけ止めてほしい」っていうのはなんか都合がよすぎないか?と思うのです。「基本的に口は出してこないで。でも、やばそうな時だけは止めて」って、ちょっと自分勝手じゃない?って。「押し付けないでほしい」と主張する限りは、悪い方へ行きそうな時も「止めて」なんて言う権利はないはずです。
そうしたら、「nacci、それはあまりにも悟りすぎだし、それじゃその人と一緒にいる意味がない!」とまたまた反論されました。でも、私が思う理想的な「押し付け合わない」関係というのは、決してお互いが知らんぷりし合っているという状態ではなくて、「押し付け合わなくてもお互いに良い影響を与え合える」ということなんです。
例えば、パートナーがいつも体を鍛えていて、いつも健康的だとします。私は運動嫌いで、なんだか不健康だとします。そんな時に、パートナーが「お前も運動しろよ!」とか押し付けてきたら絶対にやる気にならない。でも、「運動すると調子いいよ!」といつも楽しそうに体を動かしているのを見たら、私もやりたい!と思うでしょう。
逆に、私がいつも体を鍛えている方で、パートナーが運動嫌いだったとする。例え私が運動することで飛躍的に体調がよくなったとしても、私はパートナーに「あなたもやりなさい」とは言いません。私を見ていて、パートナーが「自分もやりたい!」と思うなら、一緒にやればいい。そういうことなのです。

理想的すぎるといわれるかもしれないけど、いま私は、この「押し付けない」というのを日々実践すべく生きています。まずは自分がやってみることが大事だよね?と思うので。でもそれを意識して生きるようになったら、うっかり「押し付けそうになる瞬間」の多いこと!誕生日を迎え、今年は、エゴを捨てる一年になりそうです。


、、とか色々書いたけど、もしかしたら、私は単に人一倍「押し付けられること」が嫌いな人間なだけかもしれませんが。ここ2、3年、私の事をとても大切に思ってくれて、生きることについて私に色々なアドバイスを与えてくれた、お母さんみたいな人がいました。でも私はどうしても心の底に、その人に対する反発心が消えなかった。その人も私が少しでも成長できるようにとあれこれ言ってくれていたのだけど、「nacciを変えてあげたい」という気持ちが強すぎたのだと今はわかります。その人のおかげで今の私があるのだし、心から感謝をしているのだけど、私を「変えたい」と思ったその人は、結局私を変えることはできなかった。じゃあ私はなんで変われたのかって、いま自分の身近にいる「押し付けない人たち」を見てて、自分が勝手に影響を受けたからです。その人たちは、私も含めて、誰かを無理やり変えさせるというようなことを決してしません。そういうのを見て「いいなぁ」と、自分もそうなりたい、と思ったんです。いい影響を与える、ってこういうことなんだな〜としっくり肚に落ちました。

…というようなあれこれを、冒頭の友人からの質問により、色々と考えることができたわけです。友よ、ありがとう。

そして、私も、「人を変えようとしないで生きていく!」とさわやかに願う、春の夜なのでございました。おしまい。