Barにnacciが戻る夜

4月になりました。牡羊座の私には、こうやってまた文章を書き始めるのにはよいタイミングです。書くネタは山ほどあったけど(「あしたのジョーを観て鼻血が出そうになった」とか?)(人生で一番うまかった天丼を食べたとか?)、2ヵ月の間、文章を書かずに(震災関連のアップは除く)、てくてく自分探しの旅をしておりました。


さて、「精神的成長曲線」というものがあるならば、私にとってこの約2年間の曲線は、その前の30年間とは比べ物にならない程急激な角度で右上がりになったはずです。その2年のうちでも、先秋からのこの半年というのは、私の人生においてもおそらく最大の「伸び率」を記録する区間になったのではと、今この半年を振り返って思います。

「ふと振り返る」きっかけとなったのは、スピッツ草野マサムネさんの「震災による急性ストレス障害」のニュース(復活してよかったね!)。マサムネさんが、あの繊細な曲たちの作り手であることを証明するような出来事だったと思います。マサムネさんは私が大好きなアーティストだし、このニュースに対する世間のコメント(ヤフコメだけど…)が、概ね好意的なものであった事になんだかホッとしました。…と同時に、マサムネさんのようなセンシティヴで感受性の強い人が「優しい」「人の痛みがわかる」と捉えられる一方で、周囲の悲しみに影響されることなく 目の前のやるべきことを黙々とこなしている人に対する世間の反応は、案外冷たいんだな〜 とも感じました。どちらが良いとか悪いとかはないと思うのですが。

それで、どうしてこのニュースが自分を振り返るきっかけになったかと言うと、私自身が、その「センシティヴではない」方へと急速に変わりつつあるからです。過去の私は、人が何と言おうと絶対的にセンシティヴで、感受性がものすごく強い人間でした。「でした」というか、もちろん今もそうなんだけど、その敏感なアンテナのスイッチをあえて切りつつあるのです。今まではセンシティヴであることをとても良い事だと信じてきたし、だからこそ私は色々な人からとても個人的でへヴィな相談を受けてきました。会社では、例え隣の島であっても誰かがものすごく怒っていたり悲しんでいたりしたら、それを敏感に察知してしまうし、察知するだけならいいけど、その負の気に自分がやられてしまう。だから、自分には関係ないことなのにそれを何とかしてあげようとしたり、時には余計なお世話をしたこともあったと思います。それは、周りの人にとっては時に助かる事かもしれないけど、わたし自身にとってはあまりよいことではない。常にアンテナを受信できる状態にキープしていると、常に「自分」が周囲に合わせて揺れ動いてしまう。それは、「よいことではない」どころか、本当に私を大切に思ってくれている人に不信感を抱かせたり、「本当のnacciがわからない」とか思わせてしまうことにつながっていたみたいです。

この半年で、気づいたら私は、目の前で話している相手に「同調」することをやめていました。同調しないというのは、別に話を聞かないとかそういうことではなくて、相手と同じ立ち位置に立たないということ。相手と一緒になって腹を立てたり、悲しんだり怒ったりしないということです。なんだかとても冷たい感じがするかもしれないけど、少なくとも、私を「自分の立ち位置に引きずり込もうとする人」からは離れることができます。「引きずり込もうとする人」というとちょっと言葉が強すぎるけど、無意識のうちにそう願ってしまう人はけっこうたくさんいて、そういう人々にとって私はとても居心地のいい場所になってしまっていたようです。そういう人々が悪いのではなくて、私が、そういう人が依存できるような環境を作ってしまっていた ということ。これからは、そういう人は、私から離れていくでしょう。なぜなら、同調しない私と話していてもつまらないからです。私は、一緒にいたい人と一緒にいたい。本当にあたりまえのことなのに、今までずっとできていなかった事です。
だから、これからは、「人より自分を大切に」。←なんだか一見イヤな奴みたいですが、他人によってブレてしまったり、不安定になるような私では、本当に大切な人を安心させることはできないですから。

Then, let's open my bar again.
I'm here for all, like a big tree.
Kisses and a big hug,
nacci



今夜のBGM☆桑田佳祐明日晴れるかな