古典が古典として残っているのにはそれなりの理由がある

ノルウェイの森」の中で、永沢さんが「死後30年を経ていない作家の本は原則として手に取らない」と言っていた。新しい作家の本がダメ、という意味ではなく、「時の洗礼を受けてなお刷られ続けているような作品ならば、読んでガッカリするようなことはないだろう」というような事だったと思う。永沢さんは単に無駄を省きたかっただけだろう。

私は本が好きそうにみえて(好きだけど)、古典というものを実はほとんど読んでいない。なぜならば、古典は得てして文章が読みづらい場合が多いから。外国文学の翻訳モノであれ、日本文学であれ、文体が古いから頭に入ってこない。だから「古典を読む」という行為は、つまり「わかりにくい文章を読みこなす」という事とほぼ同義だとずっと思ってきた。

そんな中、数年前に光文社の「古典新訳」シリーズが世に出て、「カラマーゾフの兄弟」が「カラ兄」とか呼ばれてブームになっていたのが記憶に新しい。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

このカラ兄、たしかに古い訳と比べると格段に読みやすくて、すごくよかった。前述の永沢さんなんかは新訳に眉をひそめそうな気がするけれど、せっかくの古典がみんなにわかりやすく読んでもらえるならいいんじゃない?と私は思う。


それで、たまたま手に取って今回読むことになったのが、これ。

八十日間世界一周〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

八十日間世界一周〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

夏ごろに買ってずっと読んでいなかった(なぜなら当時買って読もうとしたら「下」だったからだ!書店には、上下巻あるものは必ず上下一緒に陳列してほしいと強く望む。)のだけど、手に取ったらあまりの面白さにほぼ1日で全部読んでしまった。何がすごいって、この本、「小説として」「ビジネス書として」「スピリチュアルブックとして」全部成り立つのだ。「ビジネス書として使え」とはどこにも書いてないし、スピリチュアルブックに至っては誰もそう感じない可能性もある(笑)のだけど、本当にすごいし、内容も面白いから、興味のある人にはぜひ読んでみてほしいな〜。
小説としては普通〜に「先を、もっと先を読みたい!」と思わせてくれる作品。
ビジネス書としては、「成功するコツ」をすごく明瞭に教えてくれる作品。
スピリチュアルブックとしては、「宇宙とのつながり方」はこれですよとハッキリ書いてある作品。


古典が古典として生き残るのには、やっぱりそれなりの理由があるからなのね・・と納得しました。これからもっと色々読んでみたくなったよ。おすすめのものがあったら、ぜひ教えて下さい。