Kidult?

冷静な頭でニュースを見ていると、「ニュースで心が痛む」ということはあまりない。むしろ、報道しなきゃいいのにと思う事の方が多いくらいだ。そんな中で久々に胸が締め付けられるような想いをしたのが、小学生の女の子が自ら命を絶ったというもの。様々な憶測やコメントが飛び交う中、目につくのが「『わずか9歳の女の子が、首つり自殺という選択をした』という事に驚く」といった意見。ここで驚く人というのはおそらくこう思うのだろう、「子供なんて、『もう死んでしまいたい!』と思ったって、「衝動的」な行為(あまり書きたくないけど、高い所から飛び降りるとか)に至るくらいが精いっぱいだろう」と。そういう人には、小学生の子供が、わざわざ計画と準備をしてまで命を絶ったという事実がうまく飲み込めないのだろうと思う。しかし、子供は、あなたたちが思っているよりもよっぽど大人なのだ。もちろん子供たちの全てがそうだとは言わないけれど、「大人よりずっと大人な子供」も世の中にはたくさんいるはず。この女の子とほぼ同じ年齢で、全く同じように悩み苦しみ、「死」による逃避方法を必死で模索していた人間が、正に今、ここでこの文章を書いているのだから。


小学生の女の子にとって、学校での嫌な出来事は、人生のすべてを覆い尽くす程の闇に等しい。「あと少し待てば卒業できるのに」とか、そういう考えに至るのはとても困難だ。なぜなら毎日毎日を生きることに精いっぱいだから。「生きていればいいことあるよ」という慰めの言葉も、申し訳ないけれど当人には全く響かない。「今」が耐えがたく苦しい方にとってみれば、ほんとにあるのかもわからない「将来のいいこと」に想いを馳せる余裕なんてないのだから。そんなもの要らないから、今をなんとかしてくれ!と思うのが普通だろう。


確かに大人になってみればわかる。子供の頃の悩みなんて、卒業してしまえば終わるし、死ぬほどのことじゃなかったって。でも、その時には絶対にわからない。わかるわけがない。「悩みの重さ」でいったら、子供の頃の悩みほど重いものはないと思う。少なくとも私は、これから死ぬまでの間、あれほど重い悩みに押しつぶされる事は無いと(ほぼ)断言できる。あの頃は自分のキャパシティに対して、悩みが大きすぎたのだ。これからの人生にも色々とヘヴィな事が起きるかもしれないけど(そして今までも起きてきたけど)、大人になった私は、例えば「人に協力を求める」とか、「考え方を変える」とか、いくつかの解決方法を探すことができるだろう。例えば、「死」以外の「逃げる」という方法を選択することだってできる(逃げて解決できない悩みが存在することは重々承知です)。それに対して、子供の頃の私は、「もう学校に行かない」という逃げの選択すらできなかった。


そんな子供に対して、親って何をしてあげたらいいんだろう?「きちんと育てれば、そんなややこしい子にはならない」とは言いきれないと思う。持って生まれた性質があったり、スピリチュアルに言えば「お役目」を持っていたりで、他人から見たら何の不自由もなさそうな子が、実は背負い切れないほどの大きな悩みを抱えているかもしれない。
今の私が想像する範囲での「親がしてあげられること」は、「ここへ帰ってくれば絶対に安心!」というシェルターをいつも用意しておいてあげることかなぁ。「無理してまで学校行かなくてもいいんだよ」っていう感じ。そもそもそういうシェルターがあれば、「学校行きたくない」という状況に陥ることも、減ると思うしね。


とにかく、冒頭の、亡くなった子の魂の為に、これを読んでくれた人がちょっとずつの祈りを捧げてくれたら、嬉しいです。