終戦記念日なので。

今日は1日、誰にも会わずに図書館にこもっています(あ、これと終戦記念日は関係ない)。なんだか妙に長い夏休みを経て明日から仕事。「昨日まで」と「明日から」の間には、ちょっとしたワンクッションが必要なのです。

ここは新しい図書館なので気持ちがいいし(涼みにくるおじ様たちも少ない)、近くにはお気に入りのカフェもある。今は遅めのランチをしながらのんびりしています。


さて、終戦記念日。私が有名人で、自分のブログにこんなネタを書いたら、ひどく叩かれて大変な事になってしまうのかもしれません。国によっては、たちまち検閲に引っかかったり、もしかしたら逮捕される可能性だってあるでしょう。今のところ私は有名人ではないので、こうやってカフェで「平和についておもうこと」を書き綴ることができます。


「二度と戦争を起こさない為に、戦争の記憶を風化させない」という事が、世界中のあちこちでされていると思います。でも、私には、それが本当に「二度と戦争を起こさないこと」につながるのかしら?と疑問に思えてしまうのです。

戦争がどんなに悲惨なものだったかを知ることで、人は戦争を嫌い、憎むようになるでしょう。でも、「何か」を強く憎むほどの強いエネルギーは、その「何か」を強く引き寄せる事にもつながります。それは物理的(理系的に説明はできない!)にも、スピリチュアルにもそうだと思います。だったら、戦争の悲惨さをいつまでも忘れない事よりは、ニコニコ笑って平和な事ばかりを考えている方がいいんじゃないかしら?とか思ったりするのです。

…と言っても、もちろんそんなに単純ではない事はわかっていますよ。いくら平和な事を考えていたって、「ひとつになろう」という気持ちがなければ、世界から争いは消えないし、貧しい国はいつまでも貧しいまま。極端な事を言えば、「私の国は…」という意識がある限り、「ひとつになる」事は難しい。「どこそこの国は食べ物が無いから食料援助する」では、どこそこの国はいつまでも食べ物が無いままでしょうね。でも、それが「どこそこの国」じゃなくて、「わたし(たち)の一部」だったら…?


「私は平和な事ばかり考えていますよ〜」といくら言っても思っても、「私は日本人だ」「私は○○人だ」という意識がある限り、やっぱり戦争の無い世界というのはなかなか簡単には訪れないと思うのです。正直、「国」のない世界なんてなかなか想像できないし、人々は「国に属する事」をガッツリ望んでいるからです。ワールドカップを見れば熱くなるし、隣国の人が我が国の文化について「知ったかぶり」をすれば腹が立ったりするし。愛国心がある、ということは、ある意味では、「心の底では戦うことを望んでいる」ということでもあるんだよなぁ〜。
…って、私は、ジョン・レノンの「イマジン」を聴いて思うのですよ。というか、20年聴いてようやく歌の意図するところがわかったような気がします。



「はいっ、地球では、国っていう考え方を、今日からやめま〜す!」とかいう事になり、それをみんなが受け入れるような事になったら、たぶん戦争も貧困も飢餓もあっという間になくなる気がしませんか(共産主義がいいという意味ではないよ)。ものすごく有り得ない提案にも聞こえますが、考えようによっては、「へ?そんな簡単なことで、世界平和実現?」とも言えます。一部の人にとっては、死ぬほど危険な思想でしょうね…


しかし、そんな世界がやってきたら、人間はもう人間でいる必要がなくなって、ここは「あの世」になっちゃうかもしれないね!ある意味、イマジンという歌は、世界の終わりを意味しているのかも。
いい意味で。




終戦記念日」と「金ちゃんヌードル」と「お見合いマスター」のタイトルが共存する平和なブログ、bar de nacciを今後ともどうぞよろしくお願いします。