Trip to Norwegian Wood

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
こないだ「1Q84」を読んだので、その流れ?で何となく本棚にあった「ノルウェイの森」を手に取ることに。もう何回読んだか知れずという位の小説なので、じっくり読むというよりは斜め読みな感じでざざっと。初めて読んだ中学生の頃は、ずいぶん長い小説に思えたものですが、いま手に取るとぺらっぺらですから、あっちゅー間に読み終わってしまいます。

好きな部分は何回読んでも変わりません。読んだ人にしかわからないのですが、主人公のワタナベがミドリの入院中の父親に「キウリ」を食べさせるところとか。小説全体が淡く沈んだトーンに覆われている中、強い生命力がきらきらと輝くシーンです。

あと、まぁこれも読んだ人しかわからないのですが、私はミドリがかなり苦手。なぜ苦手なのかって目下自己分析中ですが、ワタナベをめっちゃ振り回すところに心底イライラし、酔って木に登りたがるのにも心底イライラし、ワタナベがそんなミドリに惹かれていくところに心底ヤキモチを妬いてしまうんです。でもきっと、私はミドリがずっとうらやましかったんだと認める今日この頃。私もあんな風に好きな人をやりたい放題振り回して、暴言を吐いてワガママ言いたかったんでしょう。ミドリ自身のその真っ直ぐなところや自分の感情や欲望に正直なところに憧れていたんだなと思います(どっちか言うと私は直子タイプだからね)。

…という具合に、好きな部分とかイラつく部分は何回読んでも同じなのですが、今回は最後にどかんと自分でもビックリな変化が。
「泣いた」んです。今まで10回近く読んで一滴も涙でなかったのに。いや、自分でもギョッとしたですよ。
20代の頃とか、「ノルウェイの森を読んで涙が出た」とかいう感想を目にするたびに、「それって『ノルウェイの森を読む自分』に酔ってるだけじゃね?」とか、「この小説のよさ、わかってなくね?」とか思ってたんだけど(^_^;)

この小説の紹介文には、よく「喪失と再生の物語」と書いてあります。ストーリーを50字に要約すると(笑)、「ワタナベが親しい人々を亡くすことで自分自身をも喪失し、それでも彼は生きていく…」みたいな感じかな。ここ数年で、私も私なりの解釈での「喪失」を体験してきました。喪失っつーのは、自分の中で決定的に何かが損なわれてしまうということです。もう絶対に、何によっても補われることのない空白が自分の中にできてしまうということです。そんなもの、どちらかというと抱えこまずに生きていく方がいいに決まっています。何か悲しい出来事が起きても、何かによって癒やされて、欠けた心がまた元通りになる…、そういうのが一番まともだと思います。でも結果として、私の中には修復不可能な部分ができてしまったし、それはもうどうしようもない。弱い人にはきっとこういうのはすごく危険で、その「空白」にどんどん自分を蝕まれて、最後には自ら命を絶ってしまったりするんでしょう。ノルウェイの森の登場人物たちのように。幸い私はそうなるほど弱くはなく、修復不可能な部分があろうと別にいいじゃんと思って毎日楽しく生きています。というよりむしろ、それを強みに変えられたのかもしれません。私は人生のどの時の自分よりも、今の自分が好きです。失われたものに囚われることなく、素直に人生を生きているし、大好きな人たちに囲まれているから。

そういう状態で読んだノルウェイの森は、かなりぐっときました。絶対的な喪失を抱えてしまったワタナベにすっとシンクロできたので、あんなに涙が出たんでしょう。「喪失と再生の物語」っていうフレーズにも、ようやくしっくり馴染んだ気がします。年齢を重ねてこういうことが色々わかってくるというのは本当に素敵なことです。自分で言うのも何だけど、いい歳のとりかただと思います。



今更ですが、いい小説なのでおすすめですよ。映画も楽しみ。松山ケンイチ君、期待してるよ〜。