「花の色は」

♪girasol × nacci コラボレーション♪

江國香織さんの小説はあまり得意ではないのですが、「東京タワー」という有名な小説に、「『一緒に暮らすこと』と『一緒に生きること』は必ずしも同じではない」という名科白があります。たしか、この小説に出てくるカップルの設定は人妻と大学生の不倫だったかな。それで、大学生の彼とは一緒になることができない人妻の彼女が言った言葉だったと思うのですが、昔はこの科白に大いに共感し、「結婚しても他の誰かを想い続ける」ということに何か強い憧れのようなものを感じていました。
でも今は、、「それって独りよがりな自己満足?」と思ってしまう自分がいます。誰かと一緒に暮らしながら他の誰かを想う、ということ自体は、十分にあり得ることでしょう。誰の身にも起きる可能性のある事です。でも、それを「一緒に生きる」と表現できるまでに、相手もそう思っているのか?といったら、「?」なのです。例えばそれが不倫という形であったり、何かの立場上どうしても一緒になれない二人であったり、状況は色々あると思いますが、「一緒に生きてる」と互いが思いながら、それがずーっと続くのかといったら疑問です。
世の中には、「だます人」「だまされる人」「テキトウな人」「真剣な人」「軽い人」「思いつめる人」、、色んな人がいます。自分の想う相手がいつだって真剣な人かと思ったら、そうじゃないことなんてしょっちゅうでしょう。一緒に暮らせないけど、一緒に生きていこうと誓い合ったはずが、いつの間にか・・なんて事も、世の中にはありふれているように思えます。また、一人の人間の人生の中にも「テキトウな時」「真剣な時」ってあるでしょうから、相手ばかりを責めるのもおかしなことです。

誰かが、「ずっと一緒に生きていこう、一緒には暮らせないけど」と熱いまなざしでささやいたら、それは最上級に優しい嘘でしょう。
でも、最上級の花束なら、受けとっておけばいいんです。最上級の花束なんて誰でももらえるものではありませんから。花束は、きっとそのうち枯れてしまうとしても。


「花の色は」 by girasol

ハナノイロハウツリニケリナイタヅラニ
昔の人は嘆いてた
あぁ、嘆けるのならばましなこと



桜の色を
君は覚えているだろか
散りかけてなお美しく
ふたりの上に舞った色



桜の色は真実で
結んだ指も本物で
君のことばも本当で



それでもこんなにばらばらに
やっぱり散ってしまうなら
この世はそういうものなのだ
人とはそういうものなのだ



わたしの涙もあしたには
乾いて次の春をまつ