Trip to 1Q84

村上春樹 最新作、1Q84。BOOK3を読み終えました。
1Q84 BOOK 3

私は、ハードカバーで本を買いません。高いし、かさばる。買って読んですぐ売るというのは自分の中ではいささか飲み込めない行為だし、そもそも何回も読み返すから、売れない。何回も読み返す際には持ち歩きたいから、文庫本で持っていたい。
というわけで、1Q84も文庫化はまだ先だから、買ってないんです。先行して発売されたBOOK1とBOOK2は、たまたま前の職場の人が持っていたので借りて読むことができました。で、今年発売されたBOOK3は図書館で700人待ち(笑)だったのですが、またもや今の職場にたまたま持っている人がいて、借りることができた訳です。あれだけバカ売れした本なのに、周りの誰もが持ってるわけじゃないんですね。しかも気軽に借りてすぐ返せる環境でとなるとますます持ってる人がいない。
でもね、本というのは不思議です。本を好きで本を愛していると、その時自分に必要な本や求めている本がちゃんと向こうからやってくる(と私は信じている)んです。


本を読む という行為は、私にとってはひとり旅みたいなものでしょうか。それは非日常の世界への旅であり、たとえ行き先が既に知っている場所であっても、読み返すたび新しい発見があったり、予想通りほっとできたり。と同時に、著者と深いところでリンクする行為だとも感じます。まるで肌を合わせているかのように親密な関わりを持つような感覚です。言い換えれば、これをいま読んでくれる人と私の間にも、この瞬間にそういう親密な触れ合いが存在しているっていう事。うふふ。


本を読むのがひとり旅に似ていると思うのは、読書がすっごく孤独で能動的な活動だと感じるからでしょう。映画やテレビは、受動的に見ているだけでもいいけれど、本ばかりは見ているだけでは何も入ってこない。自分で文章を読んでいかないとどこへもいけないのです(そういう意味では、朗読を聞くのは読書ではなく、映画やテレビと同じ側でしょうね)。自分で読み解き、自分で感じて何かを得る。後で感想を誰かと分かち合うことはできても、その旅を誰かと一緒にすることはできない。絶対に自分一人でしかできない孤独な作業なんです。大きな意味では、まるで人生そのもののようじゃないか!
…おっと、うまくまとまりすぎてきちゃったぞ。まぁとにかくそんなこんなで本を読むのが好きな私ですが、困った点もあるとですよ。「新しい本」は、私をこの上なくぐうたらな人間に変えます。まぁもともとそんなにシッカリした人間でもないですが、「絶対にやらなきゃいけないこと」が目の前にあるのに、読み終えてない本があると自制がきかない。「あと15分だけ読もう」「この章だけ読んじゃおう」「ここまできたら最後まで読んじゃおう」という具合に際限なくやってしまうんです。ほら、なにしろ一人旅の途中だから… なんて言い訳もきかないので、新しい本を読むときは環境を整えてからでないと危険ですね。そういう意味で1Q84 BOOK3はかなりやばかった。もう止まらなくて、いっきに「読み干して」しまったよ。やれやれ。

昨年から今年にかけては、日本史という未開の地へも少しずつ踏み込みだしたので、またこれから色々と新しい旅が待ち受けているかと思うと…旅支度に余念のないnacciなのでありました。