Visit to Ken's bar

TOKIOで遊び倒して帰ってきたら夏カゼに…。かなり辛い状態ですが、Ken's barに行ってきました。Ken's barとはこのblogのタイトルの元にもなっている、平井の堅ちゃんのコンサート・スタイルのうちのひとつです。
Ken's barは彼のライフワークであり、「Barの店主」となった堅ちゃんが、自身の曲・他アーティストの曲問わず、まるで本当にBarでライブをしているように歌を聴かせてくれる場。何しろBarですから、楽器はアコースティックが中心で、会場ではお酒も飲むことができ、今やプレミア化しているそのチケットは大変取りにくいものとなっています。



今回の会場は伊勢…。平日ですから、午後休取って車で行ってきましたよ。遠かった〜。私が運転して行ったのですが、この私、高速道路の運転が大変苦手でござる。何が苦手って、これはある意味すごく良い姿勢とも言えるんだけど、「同乗者の命を預かってる感」が一気に増すでしょう?高速道路だと。「オレの手元がひとつ狂えば、みんなあっちゅー間に天国だぜ」みたいなその緊張感が苦手。でもタラタラ走ってもいられない!というプレッシャーもまた苦手。というわけで、苦手づくしの高速を駆って行きましたよ。

生歌を聴いて涙が出ることって、みなさんよくあることでしょうか。私はどうもそのあたりの琴線が鈍化しているのか、歌詞や歌声そのものに触れて涙が出るということはあまりありません。じゃあどういう時に涙が出るって、そのアーティストの波長とか、そのステージの波長みたいなものにビビっとシンクロした時、です。一番弱いのが、ステージ上の絆。絆なんて言葉を使うのはこっぱずかしいけど、他に表現のしようがない。例えば数年前に初めて聴いたコブクロのステージ。小渕君と黒田君(コブチとクロダでコブクロだって知ってた?)のハモりは、確実にある種の絆で結ばれた者同士にしかできないハモりだった。それを生で感じたら、もう涙が出てしょうがない。
あとは…活動休止直前のサザンのステージかなぁ。この歳でようやくサザンに惚れたのに、もう生で聴けないのかという切なさ、長年のファンとサザンの絆、そして何かの象徴のように野外ステージを濡らした夏の日の雨…みたいな色々がごちゃまぜに混ざり合ったのを肌で感じたら、やっぱり涙が出るんです。

話が大幅にズレたわ。要は、「歌詞に感動してライブで泣くことがあまりない」と言いたかったのです。こうやって文章を綴るのが好きで言葉に興味があるのに?って意外に思われますが、私は曲を聴いた時に歌詞が全然耳に入ってきません。たぶん無意識に音の重なりの方に意識がいってしまい、わざわざ意識しないと歌詞が聞こえてこない。そんな私が、この日のKen's barでは珍しく歌詞を聞いて落涙したというのが、アルバム「SENTIMENTALovers」収録の「センチメンタル」。アルバムを買った頃には飛ばしてしまいそうな程たいくつな曲だったのに。
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=21103
どうしてそんなに涙が出たかは、自分ではよくわかってる。甘い甘い甘い恋の渦中にあったり、失恋して誰かを狂おしく想っているときには、けして出ることのない涙だったと思う。曲は昔と何も変わっていないわけで、そこを通り過ぎる人間だけが、どんどん変わっていくんだねー。



しかし堅ちゃんよ、ピッチの高低に敏感すぎる私のみならず、みんなが「今日の堅ちゃん、音チョット低かったよね」と言っていたわよ!気をつけて!