子供の情景

あ、タイトルとシューマンは全く関係ありません、、、

年齢的にも、友人の子どもたちと触れ合う機会が多くなってきた今日この頃。その中でも、生まれた時からかなり近くで成長を見守ってきた一人の女の子がいます。彼女はいま、2歳半。彼女と2か月ぶりくらいに会ってみたら、びっくりするほどの成長ぶりに感動。こ、言葉で意思疎通ができるようになっている!!!

哲学やら魂やらについて色々なものを読んだり考えたりしてきて、私の中では、子どもが「ことば」を使って意思疎通ができるようになる前と後では、大きな違いがあるように感じています。まぁあくまで個人的な考えだけれど、子どもはけして「未完成な大人」ではなく、私たち大人とは全く違った世界の住人じゃないかと。子どものうちでも、言葉を操れるようになる前までは「あっちの世界」の住人だと思うのです。どうしてこの世に生まれてくることになったのか、どうしてこの家に生まれてきたのか、全部理解している(ように思える)。だから彼女が生まれてから、まだまだ赤ちゃんの間、私はよくそんな風に思いながら彼女の瞳をのぞき込んだりして、とても神聖な気持ちになったりしていたものです。

そんな彼女が、おしゃべりができるようになってきた。ということは、今は、「あっちの世界」の事を急速に忘れてこっちの世界に向って走ってきている時なんだなぁ〜、と思います。言葉を使わなくても全てが通じるタマシイの世界、何もかもがひとつに溶け合っている世界からこっちの世界にきたら、きっととても不自由なことでしょう。言葉は誤解や混乱をまねくものであり、悩みのもとだから。でも、同時に、すごく大切なものを学ぶツールでもあると思う。これからもっともっとことばを覚えて、たくさん悩んだり笑ったりするであろう彼女を、ずっとあたたかく見守っていきたいと思います。