好きな人が、できました

正岡子規という人を、私は「俳句の人」くらいにしか認識していなかったと思う。
「柿食へば鐘がなるなり法隆寺
↑この超絶に有名な句ですら、「鐘が鳴る鳴る」と勘違いしていたくらいだ。そんな風にしか思っていなかったこの人の書いたものを、いま私は夢中になって読んでいる。そして―
大好きになってしまった。これは、半ば、恋でしょう。この人は、恋人だったら相当面倒くさいと思う。しかし私が好きになる、という点では誰もが納得しそうな変人だ。恋人というより、変人だ。


正岡子規 (ちくま日本文学)
これが心底面白い。もちろん、文体が古いので最初はすらすら読めない。「言わざるべからず」って「言っちゃダメ」だっけ?「言わなきゃダメ」だっけ?とか、つっかえつっかえ、読む。そのうち、慣れてくる。リズムに乗ってくる。面白い。。なんだこの面白さ。


彼は病床にあって、書いて書いて書きまくる。嬉しい事、感動した事、腹の立つ事。日記でありながら、人が読んでもわかるように書いている。だから挿絵もないのに、私みたいのが今読んでも、目の前にありありと子規の見ていた世界が広がる。これは正に私の目指すところとも言える。書き散らすにもセンスが必要で、他人が読んでもわかるようでなくてはならない。(ちなみにここまで、子規の文のマネです。誰もわからんっちゅーの)


子規は病床でしきりに退屈だ退屈だとこぼしているのですが、あぁ私が話し相手になってさしあげたいものです。私なら一日中いけますよ。新聞の投稿欄を読んでは突っ込み(しかし新聞の投稿ってどうしてあんなに馬鹿馬鹿しいのが多いのか?)、庭の蟻を見てはその労働スタイルについて語り、甘夏を食べてはミカンとの違いについて語り・・。


天国で会いたい人が、また一人増えてしまった。いつかそっちに行ったら、絶対デートしまほし(←この古文、合っているのか超微妙)。
あぁー、先に天国に行かれてしまった高校時代の古文教師であり恩師であったT先生、間違いなく正岡子規に会ったんだろうな〜〜〜。この私の日記も天国から読んでくれていることでしょうから、よろしく伝えて下さいよ、デートしまほし って。