スキップ・ビート to 南米大陸!【エピローグ&写真集】

「名前」の持つパワーについてよく考える。名前がなければ全ては混沌の中に溶け合い、「わたし」と「あなた」の区別さえ無い。



…な〜んて哲学じみた始まりになりましたが、実際私は、「名前」について考えることがよくあります。人だけでなく、物や土地の名前についても。子どもの頃から、世界地図の上に散らばる色々な地名に強い興味を抱いてきました。その名前に惹かれて、実際に「喜望峰」や「ロカ岬」を訪れたりしてきましたが、中南米だけは今まで機会に恵まれず、今回が初の訪問となったわけです。南米の地図にも、子どもの頃から気になる地名がたくさんありました。ホーン岬(やっぱり岬)とか、チュキカマタ銅山とか…(「鎌田さんが好き!みたいでしょう」)。
その中でも、特に気になっていたのが「チチカカ湖」でした。「マチュピチュ」とかは割と大人になってから写真と共に知った場所なので、単純にその名前だけに惹かれたという意味ではチチカカ湖の方が上なんです。また、ラパスという名前もひっかかっていました。きっと一生訪れることのないであろう国の首都。荒涼としたところなのかな〜、とぼんやり想像してました(実際は真逆だった!)。


名前だけのイメージを膨らませたことのあるそういう土地を実際に目にし、地を踏み、風を感じるということは、とても不思議な感動を与えてくれます。写真や知識と共に知った場所を訪れるのとは違った感動なのです。それは、まさにこの南米にエルドラド(黄金郷)があると信じてひたすら海を渡ってきた大航海時代の人々の感覚に通じるものがあるかもしれません。


実際行ってみたら、想像と違っていたり、そんなすごいところでもなかったりという事だってあるのです。それでも「あの場所までついに来た!」という感動は、空想力(妄想癖ともいう)のある者のみが得ることのできる「特典」だと思っています。


今は世界の色んな場所の事を、インターネットで瞬時に写真付きで知ることができる時代です。世界地図で不思議な名前を見つけ、本でその土地にまつわる話を読んだりして想像を膨らませた子どもの頃と比べてどちらがハッピーなのか、計るものさしを私は持っていません。でも、少なくとも自分が「世界地図に散らばる地名にやたら興味を持っていた子ども」であったこと、その頃は家でネット検索なんてできなかったこと を、「良かったな」と思います。



いま日本へ戻ってきて、この「心を塞ぐものが無い時期」にゆっくりと南米を旅行する事ができた事を、本当にラッキーだったと感じます。今回の旅は、事前に色々あって時期がずれたり何やかやとありましたが、全てが成るべくしてこのタイミングになったんでしょう。色々なアイデアやアドバイスをくれた人、手助けしてくれた人、現地でお世話になった人、色々心配してくれた人、色んな素晴らしいものを見せてくれた大自然、そしてこの旅を共に実現させ、素晴らしき時間を分かち合うことができたoshimaさんに、心から感謝しています。

むっちゃmuchas gracias!


【写真集】

↓めちゃうまペルー料理。でも一皿ひとりぶん。


↓アルパカおばさん(一緒に写真を撮るとチップ要)をホテルから隠し撮り。なにげに後ろは「カミソリ一枚入らない」という例のインカ石組です。


↓わぁっ、アルパカの赤ちゃん!とついつい写真を撮ってしまったものの、どうみてもヤギにしか見えない。


↓例のマチュピチュのリャマ。よく見ると、乗っかってる。


マチュピチュで昼寝


↓青のチチカカ湖と遠くのアンデス山脈。見えるかな〜拡大して!


↓お気に入りの主食たち。イモムシじゃないぞ


↓ウユニ塩湖で昼寝。寝てばっか。


↓ウユニ塩湖でおきまりのポーズ。真ん中はドライバーさん


↓ウユニ塩湖のミラーレイク