お姑さんのありがたいお言葉。

先日、夫のお母さんと電話で話をしていて「一日3回食事を作ってると、ごはんと後片付けで一日終わっちゃう〜」みたいなことを言っていたら、「nacciちゃんね、ごはん作るのは確かに大事だけど、掃除とか他のことはテキトウでいいんだからね。家事よりも自分のための時間を作るようにしないとダメよ。」と言われました。お母さん曰く「私のお祖母ちゃんはね、家事よりも本読む方が好きな人だったの(注:このお祖母ちゃんという人はホンモノの「才女」で、津田梅子サンから直接勉強を教わったという津田塾大学の一期生なんだそうです。なんかすげー)。だからね、お嫁さんであるうちのお母さんによく言ってたわよ、『◯◯さん、ホコリじゃあ人は死なないわよー』って。だから掃除なんかほどほどでいい。それよりも自分の好きなことをしたり、得意なことを誰かと共有したり、そういうことに時間を使いなさい」って。いわゆるお姑さんという立場の人にそんなことを言われると、肩の荷が下りませんか〜? 私は下りるよ! そして、結婚してからというもの、本を読んだり映画を観たり、趣味に使う時間をかなりカットしてしまってることが気になっていた矢先だったので、ドキっともしました。

お母さんはもちろん私のために言ってくれたのだけど、お母さん自身にも「やりたいこと全然やってこなかったなぁ」という想いがあったようです。「よく働いてくれるお父さんと結婚して、息子達は優しく育って、私は本当に幸せだったと思う。でも、自分のために何かしてきたかしら? と振り返ると、なんにも残ってないのよ! だからあなたは自分のための時間を大切にしなさい。意識的にそういう時間を作るようにしなさい」と、いうことでした。
結婚後の2年弱を振り返ると、「あ、ご先祖様の誰かのメッセージだな」と強く感じるほどに同じことを繰り返し繰り返し言われます。「結婚しても、あなたらしさを絶対に失わないで」「結婚しても、あなたの才能をきちんと活かしていきなさい」「あなたがあなたらしくいることが、家族にとっての幸せだよ」どれもこれも、筋金入りの主婦の方から言われた言葉です。家族を支えることに心を注いで、40年50年という歳月を主婦として生きてきた人達の言葉。だからこそ重みがあります。私には大した才能なんてないのでスゴいことはやれませんが、少なくとも "好きなこと" にもっと時間を使おう! と心に誓った2015年末。大切な家族と笑顔で過ごすために、楽しいことをいっぱいやりましょう。

とりあえず、掃除はいいからゆっくりコーヒー飲も。

メシトーーク!(2)

毎日あさ、ひる、ばん、と3回食事を作るような生活をするようになるとは、数年前には全く想像していませんでした。まぁやってみたらそんなに大変じゃなかったし、「あ〜ごはん作るの面倒くさいな〜」というストレスは、会社勤めの "他者との関わりによって生まれるストレス" に比べたらどうってことないので。しかし毎日3回食事を作るというのは、料理が得意とか好きとかとは関係のないセンス?が要りますね。例えば「ある日の夕食」を作らせたら、私よりも夫の方が美味しいものを作るかもしれない。でも「冷蔵庫にあるもので1週間3食作り続ける」という勝負なら、きっと私のほうがうまくできるんじゃないかな。冷蔵庫にあるもので作るというのは、それなりのマネージメント力を必要としますよね。今日はあいつを先発起用して…いやもう一日後にしてこいつを先出しするか…とか、けっこう考えるので。

でですね。私、スーパーマーケットに買い出しに行くのが何しろ嫌いで。何が嫌いと言われても困るのですが、極力行きたくない。きっと1日おきとかにスーパーマーケットに行ってれば、常に新鮮な材料で調理できるんでしょうけど、私は基本の食材は1週間に一度しか買いに行きません。途中で玉子とか牛乳がスポット的に切れるので買い足しに行きますが、それがなければ1週間に1回です。毎日3食作ってる割には、たぶん少ない…ような気がするけど、どうだろう? 買い出し前日とかは冷蔵庫の掃除ができるくらいスッカラカンになって粗食になるんですが、スッカラカンになったときこそ腕の見せどころ、とか変なファイトが湧いてきたりもするので、だいたい毎回スッカラカンになるまで補充はしません。(←スッカラカン多すぎ) 玉ねぎ、じゃがいも、にんじんだけは切らさないようにしていますが。
買物に行くのが嫌いというのに加えて、私、"ストックしてあるものを無駄なく使い切る" ということにものすごい快感を得るという妙な性癖があるんです。例えば病院で5日分の薬を処方されたら、それを一回も忘れず5日で飲みきる、みたいのがすっごく気持ちいいんですよね(理解できないと思うけど)。で、冷蔵庫にいっぱいにした食材を1週間かけて腐らせることなく使い切るっていうのが、快感なわけです。野菜は傷みそうなものから使っていきます。最初は葉物中心で、後半は根菜中心。肉・魚類は、消費期限内に使える分を残してあとは全部冷凍します。それをじょじょに使っていくのが気持ちいいんですよね〜(ホント、理解できないと思うけど)。
そんな感じで、粛々と1日3食作っています。だいたい一週間に一回くらいの割合で、すごくマズいものが出来上がってしまいます。もっと慣れれば、これが1ヶ月に1回とかになるんでしょうか。

↓買物直後のぎっしり冷蔵庫

メシトーーク!(1)

「1人でごはんを食べるのはさみしいな、って思えないとダメなんだよ」と夫によく言われます。独身時代はやむを得ないとして、結婚して家族を持ったのであれば、家族揃って食事をすることが当たり前でなければダメだよ、ということです。ごくごく当たり前のことだと思うのですが、残念ながら私の実家ではそれは当たり前ではありませんでした。家庭の事情というか家庭の状況? で、ウチは家に家族全員揃っていたとしても、全員で食卓を囲むということはあまりなかったです。家=仕事場で、仕事が終わる時間が父も母もバラバラだったから。一緒に住んでいた祖父が亡くなってからは、私は基本的にはひとりで食事をしていたような気がします。仕方のないことなので、これについて親を責めるつもりは全くないのですが、結果として "子ども(わたし)を育てる" ということにおいては、あれはきっと間違っていたんだろうなーと思います。家でひとりで食事することに慣れていた私は、中学生、高校生と成長するにつれて、たまに親と一緒に食卓につくことがなんとも居心地悪く感じるようになってしまっていたので。話すことがないし話したくない、という絶望的な状況。それは大人になっても続いて、悲しいかな母親が亡くなるまでずっとそんな感じだったように思います。今となっては状況も心境も変わり、実家で父親と2人きりで食べる時でもあーだこーだしゃべりながら食べているわけですが。
きっと短い時間であっても、毎日毎日食卓で顔をみて、何らかの言葉を交わしつづけることで、親はきっと子どもの異変に気づけたりするんだろうと思うのです。いやうちの母だって、私に大きな異変があるときはそりゃあ気づいていたと思いますが、私は "親に弱いところを見せたくない" という部分が普通の子に比べても病的なまでに強すぎる子どもだったので、「何かあったの?」と言われても絶対に答えずに、辛い時は自分の部屋にこもってました(T_T)。毎日一緒に食事をしてたら、もう少し…無理やりにでもちょっとは話さざるをえない状況にもっていくことができたかもしれませんよね。結果、母から「本当に何を考えているのかわからない」と言われる娘になってしまいましたとさ。まぁ過ぎたことをあれこれ言っても仕方ないので、自分が築いた家庭では、"ごはんは一緒に食べる" というのをできる限り守っていきたいなと思っています。

しかし夫に対しては「仕事で外出した時は、そのまま外出先で食べてきてくれていいんだYO!!!」と感じたりもするよ…
いや「家よりも外のゴハンが好き」という夫よりかはずっとマシだと考えるようにしよう、そうしよう。

8月15日によむ本

小中学生のお子さまがいるお父さんお母さん、夏休みの読書感想文、はかどっていますかー? 私は感想文を書く必要はありませんが、今これを再読中。

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

前もこの本について書いてますね。これは、この先の人生においてもずっと読んでいきたい大切な本のひとつになると思うし、世の中の様子がなんだかあやしくなってきたこの頃だからこそ紹介したい一冊、でもあります。

いまこの日本においても、このレベルの人民があるから、このレベルの政府があるのだ。

ドキっとしますね〜。

ある国の暴力的な政治というのは、暴君やとんでもない官僚のせいばかりではない。その大元は、国民の無知が原因であって、自ら招いたわざわいとも言える。

ギクっとしますね〜。


これは明治の頃の本なので、今とは違う状況について書かれたものですが、それなのに今の私たちにバッチリ当てはまるじゃないですか。いま私たちは、いろいろ知ろうとしたり、学ばなければいけない状況にあると思います。NO WAR!!! と叫びながら、じつは戦争にとっても近いところにある企業の商品を毎日食べているかもしれない。NO NUKES!!! と叫びながら、じつは原発ととっても深く関わり合ってる企業の製品を毎日買っているかもしれない。世の中で起きていることで、自分に関係のないことなんて、ひとっつもないんですよね。それを知った上で、NO WAR だったり NO NUKES を叫ばないと、言ってることとやってることが矛盾してしまったりします。あれもこれも、ぜんぶつながっているのだから。世界をよく見渡そうとしてみたり、世界で起きていることをしっかり知ろうとしてみたりすること、それが『学問のすすめ』で言うところの「学問」です。学問しましょう。まずは、本一冊くらいは最後まで読める集中力を養いましょう。この夏、おすすめの一冊です。諭吉さんにはみんなもお世話になっていると思うので^^

※ところで最近家庭教師センター的なものに登録していて、「読書感想文サポート」で申請したら却下されました。「特定の思想への勧誘」に該当するらしい。なるほど。

内職

大きな会社で働いていた頃、自分は仕事では何のアウトプットも出しちゃいないなー、と思っていた。もちろん、ルーティン・ワークをアウトプットと呼ぶなら話は別だけど、そうではなくて、何か会社の利益につながるような結果を出したか? と言われるとなんにも出していないし、出さなくていい働き方(ハケン)をわざわざ選んでいた。いつもクビにならずに働かせてもらえたのは、問題を起こさずに周りの人とうまくやれるタイプだったから、だと思う。肝心の仕事の方は、記憶力や理解力がふつうにあれば誰でもできる(よね? )ものだったから。

最近、空き時間を利用して内職をやりはじめて(ハンダづけとかネジを箱に詰めたりしているわけではないです)(ハンダづけをバカにしているわけでもないです)(ハンダづけは…もういいって?)、否が応でも "アウトプット" を出さなければならなくなった。自分の頭の中にあるものを形にして、その対価としてお金をいただく。会社で働いていた時と比べると、自分がやったことに対してのみお金がもらえるというシステムは、とてもわかりやすい。わかりやすいんだけど、なんとまぁ、単価の低いこと! 会社で一日働いてもらえるお給料を稼ぐのに、数日かかってもまだ届かない。なんかなぁ、なんだかなぁ…と思いながら、パタパタと手を動かす日々。ま、会社で働いてた頃のお給料は、朝きちんと起きたり、通勤したり、社内でのコミュニケーション能力に対して支払われていたんだな、と思うことに…でもしないとやっていられない、ホントに。

でも、誰からもああだこうだ言われず、手を動かした分だけお金が入ってくるというのは、考えてみたら本当に気持ちがいい。もう少し稼げると文句ないんだけど、とりあえず、しばらくはつべこべ言わずにがんばってみようと思っている。

結婚ハガキの謎

春に結婚した友人から結婚報告のハガキが届きました。ポストを開けてハガキを取り出して、素敵な新郎新婦のショット…よりも先に(ごめん!)、私の目はある部分に釘づけに。
ここ。


ここですよ!


"私たち" のあとに "は" が入ってる! これ、すごく珍しいパターンなんです。結婚報告ハガキを見るとほとんどの場合、この "は" が入っていません。私はかれこれ20年ほど、結婚報告ハガキを受けとるたびにこの「私たち結婚しました」に違和感を覚えておりまして…。「私たち結婚しました」という "は抜き" の一文って、軽いというか、すごくウキウキわくわくルンルン♪ な感じがしませんか?雰囲気としては "!" とか "♡" とか "♪" をつけるとしっくりくるような。もちろん、結婚直後なのだからルンルンしてるのは全然構わないのですが、違和感の原因はそのあとに続く文章です。「これからは2人で力を合わせ、幸せな家庭を…」云々という、いたって真面目なやつ。ルンルンの一行目と、二行目以降の温度差が激しすぎるんです。二行目からもルンルンで、「私たち結婚しました これから超ラブラブな家族になりまーす☆ 」とかだったらいいんですけどね。

この "は抜き" がここまで一般的に使われているのには何か原因があるのだろうと思っていて、数年に一度調べてみるのですが(暇じゃないよ)、結局わからないままで今に至っています。気になってる人が他にもいるはず!と思って検索するのですが、「私たち結婚しました」っていうタイトルの韓流ドラマしか出てこないし。これって、年賀状の "A HAPPY NEW YEAR!" は実は間違っていて、正しくは頭の A が要らない…っていうのと同じで、いつの間にか当り前になってしまったのかもしれませんね。

というわけで、今回は受け取った瞬間「"は" が付いとるー!」と嬉しくなってしまったのでした。あ、いや、これまで受け取ったすべての結婚報告ハガキは、ちゃんと嬉しく祝福する気持で受け取っておりますよ、念のため…(笑)。"は" が気になっただけですからね。ええ。
A田ご夫妻、あらためまして、ご結婚おめでとうございます♡

父の日と、ジューンブライドのおもひで


めちゃくちゃ楽しかった結婚パーティー(←自分の)から、気づいたら早や1年。振り返ってみるにつけ、本当にあのパーティやってよかった。いくつか心残りはあるものの、自分がやりたかったことはほとんどやれたし、何より、父が(たぶん)(思いのほか)喜んでくれたのが、私にとっては想定外の嬉しさでした。「親が喜んでくれることが嬉しい」という種類の気持ちがあるのだということを、初めて、あるいはあらためて、知った日でもあったように思います。
以前の記事にも書いた通り、私たちは"ちゃんとした結婚式場"で披露宴をしたわけではなく、ちょっとしたライブハウスで、プランナーも誰もつかない完全オリジナルパーティをやったのですが、「そんなに楽しかったなら、もう一度やりたいか? 」と言われると、絶対やりたくない! と断言できるくらい、あれこれ準備が面倒でした(笑)。ウェディングプランナー付の一般的な結婚披露宴に何百万円もかかるのには、それなりの理由があるのかもしれません。いや絶対高すぎるけどね、あれは。
カップルが結婚式の準備で初めて大ゲンカをする場合が多い、というのも非常に納得できます。私たちは大ゲンカには至りませんでしたが、人にはそれぞれのペースがあるのだということを学んだ…というと聞こえがいいけど、大人が2人いると、必ずしも自分の思うようにはコトは進まないのだということが実体験として経験できたので、そういう意味でも、結婚式をやってみるというのはこれから結婚生活を始める2人にとっては、いい試練? 勉強? になるかもしれません。例えば、デッドライン当日に全てが終わっていればOK! という考えでものごとを進めるタイプ(夫)と、デッドラインの前には全て準備を終わらせておきたいタイプ(私)が、ひとつのことを一緒にやるんですから、そりゃあすんなりとはいきませんよね。ホント、勉強になりました。

パーティは、とにかく音楽にあふれたものにしたくて、たくさんの方々に協力していただきました。夫の伴奏で父に歌わせてみたり、某業界ではチョット有名なあの人が生演奏を聴かせてくれたり、これまでの酸い&甘いを全て知る親友が素敵な歌をうたってくれたり、もちろん自分も歌ったり。一応挙式めいたものもやれたし、スライドショーにトークショー、花嫁しゃべりっぱなしの2時間でしたが、あの日参加してくれた皆さんが、少しでも楽しんでいただけたのであれば嬉しいです。ちなみに私は、めちゃくちゃ楽しかったですが^^

父は、パーティにたくさんの友人が参加してくれたことにとても驚いていました。父世代の人にとっては「会費制の結婚パーティ」そのものが珍しかったようで、そんなのにわざわざ来てくれる人、いないだろう?! みたいに思っていたようです。そもそも父本人も全く来る気がなかったところを半ば無理やり参加させたし(そして歌までうたわせてみた)、たぶん相当懸念しながらの出席だったのだろうと思います。ヘンな話ですが、母の葬儀のときと同じ感想をもったようです。「来てくれる友達がこんなにいるんだ」って。家族のそういうことって、冠婚葬祭でもないとわからないものなんでしょうね。

そういうわけで、自分的には大満足な結婚パーティをすることができたのでした。1年経った今、参加してくれた方、協力してくれた方、父&夫に、あらためて感謝の気持ちが湧きあがってきます。
心残りがあるとすれば…
せっかく夫がサプライズで弾き語りしてくれた曲を、会場のほとんどの人が知らなかったこと(笑
くらいかな〜。